🧠記憶が経験🎿に物語を上書きする

以前 Yasuhiro Sasakiさんが medium で紹介していた 経験と記憶の謎 | Daniel Kahneman を見る。

経験は記憶に上書きされていく。あるひとまとまりの経験に対し,わたしたちは「変化」や「決定的瞬間」とくに「結末」に基づいて,経験を編集し物語として記録していく。「経験する自己」の幸福と「記憶する自己」の幸福にはずれがあるので,記憶する自己に基づいた「幸福」の計測には注意しないといけない,という話。デザインの観点から言うと,幸福になる力とは幸福の物語を記述する力ではないか,という示唆でもある。具体的な状況における経験に配慮するのみならず,後から振り返った時によい物語であるように注意して設計するのが大事だが,その時には決定的瞬間に注意する。

メモ
①ある男性は,最高の楽曲のラストに雑音が入ったことで「最悪な曲だった」と体験を振り返った。最高の楽曲を聞いたという経験がなくなったわけではないのに,台無しになったという記憶だけが残ったということ。こういった経験から示唆されるのは,われわれには二つの自己があるということ。
1. [* 経験の自己] / いままさに体験している自己。
2. [* 記憶の自己] / 記録を残し,人生の物語を紡ぐ自己。
これを混同すると,幸福というものが捉えにくくなる。

②90年代の大腸内視鏡検査の実験。長い時間平均的に痛みを継続させた患者Bよりも,終わるときに痛みがピークを迎えた患者Aのほうが,後からより「大変な検査だったと」振り返る。経験の視点で振り返ればBの方が大変だったのに。このように記憶する自己は「変化」「決定的な瞬間」特に「結末」を通じ話を明確にして物語を紡ぐ。患者Aの検査時間を長引かせると,患者が後から振り返る痛みは激減する。なぜなら与えられた経験の物語がずっとマシなものになっているから。このように経験する自己と記憶する自己は全くの別物である。幸福に関するアンケート調査は「記憶の自己」に対して幸せを尋ねている。測定できる感情とは何か,今一度考えなくてはいけない

180713 | 908 words

ref.

ダニエル・カーネマン: 経験と記憶の謎 -TED | 2010

ピーク・エンドの法則 – Wikipedia

われわれは自分自身の過去の経験を、ほとんど完全にそのピーク(絶頂)時にどうだったか(嬉しかったか悲しかったか)ならびにそれがどう終わったかだけで判定する。

via.

思い出の写真が消えるとしても旅行にいくか? — 顧客”記憶”のデザイン by Yasuhiro Sasaki -medium