お中元 / 年賀状 / お隣さんとの醤油のやりとり…人と人のあいだをものが行き来する風習はほとんど消失しつつある。ものの「贈与的な」やりとりは,貨幣の交換に還元しないからこそ「もちつもたれつ」の関係を担保し,社会に緩やかな紐帯を敷いてきた。
例えば,たまたま手持ちの小銭がなく,一緒にいた友達にジュースを買ってもらうとき。
「おごるよ」という友達の言葉をありがたく受け入れるけれど「そのジュースの分」今度は別の形で何かを返そうとするだろう。アイスを買ってあげるかもしれないし,報告書を代わりに出しておいてあげる,みたいな親切かもしれない。ちいさな負債感に基づいたやりとりが二人のあいだを無限に往来し,少しずつ固有の関係を形成する。年賀状やお中元は非常にめんどくさいけれど,良きにつけ悪しきにつけ,めんどくささに余りある「縁」を生み出してきたことは否定できない。
他方,ポトラッチやマフィアの社会を例に取れば分かるように,贈与的な関係は「闘争」の関係に発展する可能性がある。意地と見栄の張り合いで相手を支配したりしないで,お金の交換でフェアに行こう,というのは人間が生み出した実に平和的な解決方法でもあった。
「にしても貨幣的な交換に偏重しすぎてる。サービスの設計を考える上で,贈与と闘争の話をベースにしたらおもしろいんじゃない」という趣旨のプロジェクトに参加した後,コクヨデザインアワードの応募用にかいたコンセプト。
アイスもなかや板チョコのように「あげたりもらったりできる」文房具。鉛筆をぽきっと折ってあげたり,ゴムを割いて半分もらったりする感触が楽しいのに加えて,食べ物を分け合うことに似た,新しくも懐かしい親密さを喚起するようなもの。小さなものをもらうときの嬉しさや親密さや申し訳なさを込め,Stationaries for giving you a bite (ひとくちあげる – わけあう文房具)というタイトルにした。造形においては負債感を重んじた。(バラエティパックから小さなチョコを取り出し,部署の全方位に配るのではなく,6粒しかないピノを1粒あげるような…2つしかない雪見だいふくを1つあげるような…)
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